Background

■ナショナリズムは国家の形成や変遷と共に、多様な流れを生みだしてきました。一つの時代をとっても、それぞれの国のナショナリズムが、互いに影響し合いながら力を強めることも、一社会の様々な勢力の間で同じ事が起きる場合もあります。近代国家というシステムがある以上、全てのナショナリズムが間違いだと括ることはできません。しかしそれは、「私たち」の結束力の源となりうると同時に、国家の基盤の一つして構築される、国民文化やナショナル・アイデンティティーについての批判的考察を深化させることなく、「私たち」の対岸にいる「彼ら」への想像力の欠如や、排他性、無関心を引き起こしてしまう危険性を持ち合わせています。その上、ナショナリズムは、国家という枠組みの中で生きる我々の感情や帰属意識に働きかけるため、自らの中にあるナショナリズムを冷静に見つめる事は容易ではありません。
■この問題について取り組むためには、国家とはどのような共同体であり、「ナショナル・アイデンティティー」や「他者」はどう構築されるのかについて、そして我々がどのような主体として、国家や他者と対峙しうるのかという問題について考察する必要があります。


Scope

■文化的ナショナリズムの一つの形であり、またツールともいえる本質主義は、常に様々な影響によって変化し続ける文化を、まるで決定的で揺るぎない特質があるかのごとく捉え、伝統や国民文化の形成や、民族の精神論へと結びつけてゆきます。一方で、最近の日本の文化政策は、マンガやゲームといった、ユニークなサブカルチャーを生み出す国といったイメージを打ち出しており、現代美術においても、それを内面化したような表現や言説が見られることがあります。しかし現代美術は、様々な力によって形作られる現実世界の姿や構築された言説をなぞるのではなく、新たな現実や知の可能性を引き出す批判的で創造的な活動ではないでしょうか。だとすれば、その可能性は、ナショナリズムの様々な具体的な問題にアプローチする事で、何を発信できるのでしょうか。
■このプロジェクトでは、アーティスト、キュレーター、研究者等、現代美術とその言説の創出に関わる人々が、文化生産、政治、市場経済、言説のみならず、個々の主体に現れるナショナリズムに対峙し、多様な形式のテキストや視覚表現で発信する試みです。
©A CRITICAL JOURNAL ON CONTEMPORARY ART NA+.