住岡 美智子 さん
基礎的なことは身につけさせなければならない、
という使命感を持っています
1999年度卒
東京都公立中学校美術教員
住岡さんの作品 「赤い窓」の前で |
「赤い窓」部分 |
「赤い窓」部分 |
東京都の公立中学校美術科教員です。
正直に言いますと、女子美しか受からなかったんです。
でも、きっかけになったことはありました。高校時代、広島市現代美術館で佐野ぬい先生の絵を初めて目にして。それを当時通っていた画塾の講師に「かっこいい絵があった」と話していたら「それは絶対に佐野ぬい(先生)の絵だ」と。それまでやみくもに美術大学を勧められていたのだけれど、その先生から「女子美いいかもね」と言われて俄然意識するようになりましたね。
最初の1年目は同郷の友達とばかり遊んでいてアルバイトをするわけでもなく、学校と家の往復みたいな感じでした。学年が上がるにつれてだんだん友達が増えてきて、キャンパスライフを謳歌できたと思います。そういう事じゃありませんね?
女子美祭でしょうかね。洋画科の装飾係りに参加して、初めて学年の枠を突破らったつながりができたんです。先輩方は作家のこととかよく知っていて、とてもかっこいい存在でした。そこで集まった人達とああでもない、こうでもないと試行錯誤しながら一つのものを作り上げるという経験をしたことが思い出深いですね。
あこがれ?あこがれか、うーん、思ったとおり。裏切られもしなかったし、期待どおりというか。女の子ばっかりの、のんきな校風はやっぱり合っていたなぁと思います。
共学でした。
窮屈な感じはなかったですね。でもまぁ他の美大の学祭へ行くと男の子がいる勢いっていうのがあって。それはそれでいいなぁとは思いましたが。校舎が綺麗とか、生協にお菓子がいっぱい売ってる!とかそういう細かいところが女子美ならではで、当時から気に入っているポイントです。
考古学特講、加藤先生の授業でしたが、その年は学生が2人で。
そうそう、あの講義はすごく面白かったです。古墳の話とか、御岳山の奥に仙人が実在するって話とか。実際に会いに行ったら、著書の中で102歳まで生きると公言していた仙人が97歳で亡くなっていて結局会えず...。すぐ加藤先生に報告しに行きましたよ。それまで全然興味がなかった分野だったけれどにすごく惹き込まれました。あとは文様史でインドに旅行へ行ったのが印象深いです。
でも加藤先生の特講が一番強烈でしたね。宿題も多くて、本を読みまくりました。
洋画でよかったと思う事...。正直、大学時代から油絵は、あまり描いていません。ただ、大学時代しかできないかなと思って工芸的なこともやりました。卒業制作も工芸科の先生に溶接を手伝っていただいたり、アドバイスをいただいたりと、とてもよくしていただきました。でも、それができたのも洋画だったからという気がします。洋画の先生も、そういうふうにしている私に平面的なことを強要することなく、わりとおもしろがって見て下さいました。今でも感謝しています。のびのびと好きな事だけしていました。
中学校の美術の授業というのは、「特に美術があまり好きではない」っていう生徒にとっては、人生で最後。美術の授業をする時、いま目の前にいる生徒にとって授業で美術的な事を取り上げるのはこれが最後の機会かもしれないという思いを、いつも持っているんです。だから授業の内容(教科書で扱っている)も本当に広く浅く多岐にわたったジャンルを取り扱っていて、その中からどれを教師が取り上げるかというところは、わりと自由度が高いというか、極論すると美術に関わる事なら何をやってもいい、という感じなんです。そうした時に、やっぱり美術専門の大学で広く実技の授業をやったことは宝だと思っています。例えば日本画を中学校の授業で描くかといったらやりませんが、胡粉や膠に触れた体験は強みです。においや熱を感じたことが、私の教師としてのパワーの源というか説得力になっていると思います。
教員になって強く感じているのは、同僚や保護者などの女子美OGの方々が「わたしも女子美なのよ」などと声をかけてくださることが多い事。こういう縦横の繋がりができやすいのは女子美の特徴ではないかと思います。この仕事をしていなければ出会わなかった人、その出会いから得たものがたくさんあるので、私も後輩たちに先輩方にもらったものをかえしていきたいなぁと。女子美って、なんか、いまひとつインパクトが弱いのかなって思う部分もあるけれど、こじんまりとした良さもあるから、そういう部分を個性として誇っていいと思いますね。いろいろな人がいると思うけれど、察するに女子美を出たことを誇りに思ってるからこそ、私に声をかけてくれたんだと思うんですよ。だから私もそういうふうにしていきたいです。
私が中学生だったころに生まれた子達なんですよね...。自分達が中学生だった時と比べると、幼いという印象を持ちます。
私が授業の中で押さえなければと思っていることは道具の取り扱い方など、わりとベーシックなことです。小学校の図画工作では、ここのところ造形遊び的なことが流行っているように感じられます。そういった授業を受けてきた子どもたちは技巧的なことにとらわれず、良い意味でのものづくりに対して肯定的な、構えがない状態で中学校に入学してきます。一方で、例えば小学校2、3年生のあたりの教科書に載っているカッターの使い方を知らないまま、中学校に入ってくるっていう子どもも増えているんです。コンビニでも気軽に買えるカッターの使い方を知らないで中学生になってしまったということを私は重く受け止めています。何年か前になりますが、長崎の小学校で6年生の児童がカッターを使って同級生を殺害するという事件がありました。こういう事件が起こると、中学校でもそういう危ない物を子供に使わせないようにしようという話題が出たりするのですが、それは違うだろうと感じました。創造力を育むためには便利な道具を使いこなせることが条件だし、正しい使い方を教えるのは大人の義務だと。昔はどうだか分からないけれど今の子どもたちは学校や家庭で教えてもらわなければ道具の使い方がわからない。そういうことを教えるのが義務教育における美術教科の役割だと思っています。逆に言うと、私たちが中学生の頃よりも美術の授業時間は半分に減っているし、小、中規模校ともに美術専科の教員は各校に一人しかいないという学校がほとんどです。授業の中では基礎基本ぐらいしかできないっていう見かたもありますね。でも中学校3年間で確実に実に付けさせたい力であることは確かです。「もっとおもしろい授業を!」思う気持ちももちろんありますが、私が美術を好きだったり面白いと思ったりすることとは乖離したことを授業でやっているのではないかというジレンマは常につきまといます。そういう意見を持っている先生はわりと多いです。どれだけ信用できるデータなのかは分からないけれど「義務教育の中で一番必要のない授業はなんだと思うか?」という質問を子どもと保護者対象にしたら、図工と美術が一番になったというのを聞いた事があって。残念すぎる結果だし、危機的状況!!と焦る気持ちもあるけれど、さもありなんという気もしました。もっと魅力的な授業にしなければ!という気持ちを持ち続けてゆきたいです。
やっぱり鑑賞の授業には希望を持っています。鑑賞の授業は授業だけに留まりません。彼らが大人になった時、絵を描く人はそんなにいないだろうけれども、美術館やテレビなどでの鑑賞を通じて美術と関わってゆく人は多いと思います。美術の授業で、その種をまくような役割が果たせたら最高ですね。鑑賞の授業で終覚えた作家名をたまたまテレビで見聞きして、そのまま番組を最後まで見たとか、そういう報告を生徒がしてくるんです。それをきっかけにして興味の対象が広がってゆくように働きかかけてゆきたいものです。
私が唯一大学の時に「しまった」と思っていることは一日中大学にいたことです。もちろん、そこから得たことも多いけれど、いい若者が、あの相模原の田舎にこもりっきりではもったいないと思います。もっと都心へ出て美術館に行ったり、演劇を見たり、映画見たり...。学生だから自由になるお金は少ないかもしれないけど、そういういいものに触れてほしいし、アルバイトで人間関係にもまれるのもいいのかも?とにかく経験は知です。いっぱい失敗をしておくべし。心が柔らかなうちに色々な経験を通していろんな気持ちを体験してほしいものです。なにか失敗したとしてもその行動が失敗かどうか決定づけるのは、その後の自分がどうあるかということだと思います。無駄な経験は、ひとつもないと思いますよ。私の学生時代はやりたいことをやりたいようにやっていた気もしつつ、まだまだ行動範囲が狭かった...。もっと貪欲に、もっと外に出て、大学以外の世界と関わっておけばよかったなと、思っています。
食堂にて
聞き手:高橋唐子
2007年8月25日