鳥居 茜 さん
アートっていうものをどう考えるか、
どう展開してゆくかについて、
より広い幅でできると思ったのが洋画専攻だった
2001年度卒 国立新美術館
学芸課研究補佐員
教育普及担当
今は国立新美術館の学芸課で研究補佐員として働いています。任期付きの非常勤職員になるんですけど、教育普及を担当しています
国立新美術館は従来の美術の枠組みにとらわれない、多様なジャンルのアートをご紹介しています。その中でも教育普及では、積極的にアートを体験していただけるよう、例えばワークショップの企画・実施をしたり、展覧会をより楽しんでもらうためのツールとして鑑賞ガイドを作成したり、講演会や外部との共催事業、それ以外にもインターンやボランティアの募集や全体的な取りまとめ、学校を対象に館内を紹介する施設ガイダンス、ミュージアムショップや併設されているギャラリーに関わるやり取りについても教育普及が担当しています。
もともとなぜ女子美かというと、私は中学2年生まで女子美の隣駅に住んでいたんです。女子美の個性的な制服をよく見かけていて、比較的身近な学校として存在を感じていたんですね。あと、高校を受験するにあたって親から「何かこれを勉強したいからこの学校へ行く、この高校を選ぶ、というようなことをしっかり考えなさい」と言われたんです。小さい頃から絵を描くのが好きで、お絵かき教室なんかにも通っていたので、そこで、私には美術かな、という考えに至ったんです。身近にあった女子美に親しみを感じていたということもあって女子美を選んだんですね。
すごい違いましたね。
高校までは、授業のカリキュラムが決まっいて、それをこなしていけばいいという感じで、比較的受け身でいてもどうにかなるけれども、大学って授業も自分で組み立てるし、何か面白いこととかなんかも待っててもやってこないから自分から探さなきゃいけないですよね。とにかく自分から何かをやらないと、そういうものと出会えないっていうことに気付くのに2年かかりました。だから学部の2年くらいまでは、大学って自分が期待していたほどじゃないから辞めようかなって思ったこともあったんです。でも、ある時、そういうことなんだなって気が付いて、自分から色々と動いて見つけるようにしたりしたらちょっと楽しくなってきて、そのまま大学院までいってしまいました。大学院はとにかく、最高に楽しく過ごして、あっと言う間の2年間でした。
学部の時、印象に残っているのは女子美祭実行委員をやって大変だったなってことですかね。学生生活の中で色濃く残っているのは、大学院の2年間ですね。制作に関しても学部よりは専門的というか、自分の制作をより突き詰めてゆくことと共に、制作以外での遊び、遊びと言ってしまうと語弊があるかもしれませんが、制作以外の時間も充実してたんですね。というのも、学部時代よりも少人数の仲間と一つの部屋で制作をしていて、人との関係もより密接になっていたように思います。私達の代はみんなの関係が親しいというか、濃かったというか。高橋さんとも院まで一緒に過ごしましたのでお分かりかと思いますが(笑)?ノリがよくって、自主的にイベントを打ち立てて、皆で何か一つの事をやることが多かったですよね。例えば花壇でゴーヤを作って、収穫した後に、ご飯炊いてお味噌汁作ってゴーヤチャンプルにしてアトリエで食べたりとか。印象深かったのは、展覧会のDMに使うために、最後の晩餐の12使徒に扮してカメラマンさんに来てもらって撮影したことですかね。あと、サッカー日本代表の集合写真風になるように、ユニフォームを作ったり。ユニフォームは、ユニクロのTシャツと短パンにビニールテープで装飾とかしたよね。まぁ、それ以外にも色々とありましたけど、こういうことってただ楽しむための遊びじゃなくて、アートに続く何かがあったと思うんです。先生と一緒にゼミをやったこともそうだし、アートとは何であるかについて考えるというか、私の人格形成に大きく影響を与えた、非常に濃い2年間でしたね。学部以上に大学院は行ってよかったなって思いますね。
実は大学に進むにあたって、工芸か洋画かですごい悩んだんです。結果的に洋画にしたんですけど、何で洋画にしたかっていうと「表現すること」を広い範囲でできると思ったからなんです。例えば油絵の具を使うことや粘土で陶をつくることは手段で、その手段よりも、アートっていうものをどう考えるかとか、どう展開してゆくかについて、より広い幅でできると思ったのが洋画専攻だったので進むことにしたんです。そういう意味では洋画専攻って、油彩だけじゃなく、ミクストメディアでいろんな画材を使っている人もいれば、立体を作る人もいるし、独自の世界をインスタレーションで表現する人もいて、ほんと様々でした。その、何をやってもいいっていうような、いい意味でのゆるさがあると思ったから洋画に決めたんですね。洋画の授業から、特別に何か掴んだって具体例は浮かばないけど、周りの友達とか制作している人の考え方だったりとか作品を見てすごく考えさせられたりとか、そういうことはありましたね。
もともと、教育普及っていうジャンルや、美術館とかでそういった活動がされているってことを学部時代は全く知らなくて。出合いのきっかけは、大学院2年の時に横浜トリエンナーレ2001があって、その時そのボランティアをやったんです。実は制作系のボランティアをやりたかったんですけど、縁があってエデュケーションセクションでボランティアをやることになったんです。最初のイメージは、アートと人とを何らかの形で繋げる、ちょっとしたサポートをするような印象を持っていました。
学部から大学院まで自分は表現者としてアートと向き合ってきたんだけど、作品が出来上がった後のことが気になって。作品が完成して、ギャラリーや美術館とかに展示すると、お客さんが見に来てくれますよね。制作段階では、作品と自分の関係だけだったのが、今度は作品と他人との関係が始まる感じ。作っておしまい、ではなくってその先にあることに目を向け始めたんです。アート作品と人との間に入って、そこでもクリエイテビティーって発揮できるものじゃないかなって思ったんですよ。 例えばギャラリートークで作品の情報をただ説明するのではなくって、話すために対象をよくみることによって、疑問が湧き出てきたり、ハッと何かに気づいたり、、、そういったことにとことん向き合っていく先に、すごく大切なことがあるんじゃないかなって思うんです。それを人と共有することに意味を感じて。制作することと、教育普及と呼ばれる仕事は、全く別の事ではなくて、その人のパーソナリティや創造力が反映されるものだと思ったんです。教育普及というと上からっていう感じがしてあんまり好きではないんだけど、アートや美術館をより楽しんでもらうためのちょっとしたサポートを、自分の創造力を発揮してやりたいなと思ってます。
特に作品が変わったりしないけれど、より、何で私はその作業をしているのだろう、とか、何でこの作品を作ったのか、といった「何故」に向き合うようになりました。私は抽象画を描いてるんですが、もともと言葉にならない不思議な感情だったり、なんだか分からないけど湧き出てくることをキャンバスに表現していて、具体的に言葉で説明できる類の絵ではないんですね。でも、じゃあ何でその色を選んだかとか、何でこういう風になったのか、そこには理由がないかもしれないけど、そんな風に考えてみることも重要かなと。より深く作品と向き合うことを心がけるようになったのはそれ以降ですね。
作業的な面からいうと、制作とは全く異なる事ですね。教育普及となると、人と関わることが多いですし。制作している間は個人的な作業だけど、ギャラリートークとかで語り合ったり、ワークショップで一緒に何かやったり、人と何か一緒にやる事によって、私自身、感動とか気付く事って毎回あるんですね。それってやっぱり一人で絵を描いてると発見できないことなので、アートを媒介に私も参加者もみんな得る物があるってすごく素敵なことだなって思いますね。心がけていることは、作品を見ることと同じくらい、人の様子をよく見るようにしています。今この人はどんなことを感じているかな、とか。
身体表現のワークショップをやったんです。ダンサーの方を講師にお招きしてやったんですが、振り付けを与えられて踊る、ということではなくて、自分の五感をより刺激していつもと違う感覚を駆使して体を動かすというようなものだったんです。例えば広い講堂で、鬼ごっこで体を動かしたり、誰かの体の動きを真似るといったウォ-ミングアップしたり、目隠しをして芝生を歩いて色々なものに触ったりとか。その後、展示室に行って面白い形をキーワードに作品を鑑賞して、身体で展示品を表現するんです。そして、体の上に巨大な布をかけてみたら、見え方が違うのかなっていうのを検証してみたりとか。「からだを遊ぶ!」というタイトルのワークショップで、「スキン+ボーンズ-1980年代以降の建築とファッション」という展覧会のテーマを切り口にいろんな方法でからだを使って遊んじゃおう、という内容だったんです。最後に参加してくれた子供達から「色々な発見があったワークショップでした」という感想がありました。いつも知っているものなのに、目隠しをすることによって全く違うということに驚いて面白かったとか、言ってもらえて。嬉しかったのは「美術館って色々あるんだなって思った」と言ってくれる子がいて。アート=作品があって終わりじゃないし、絵を描いたり工作をするだけでなく、「アート」につながるものはもっと幅広いことじゃないかな、と思うんです。ワークショップを通じて、自分が主体的に場に関わることで、色んなことに気づいたり感じたり、浮かんだ発想を何らかのかたちで表現していったり。そんな体験ができる場を、私はやっぱり提供できたらいいなと思っていたので、そういう感想をもらえたことがすごく嬉しいなと。
私は、高校、大学、大学院と女子美で学んで、卒業後3年間学科系の共同研究室でアルバイトをした後、半年間JAM(女子美アートミュージアム)で働きました。なので、学生としての立場と、職員としての立場と、今は卒業生としての立場と色々なものを経験している訳なんですが、今思うと女子美ってすごいいいところだったな、と。おっとりとした雰囲気ながらも、その中には個性があって、面白い人が多かったですよね。一生続くような友達がたくさんできました。他の大学に通ったことはないからあまり比較はできないけど、何だろうね、欠陥校舎をなおしてほしかったとか、アトリエの雨漏りとか、空調が動くと常に震度2程度で揺れる部屋とかね、、。あはは。
私、大学1年生の時に取れる限りの学科系の単位をがんばってほとんど取ってしまったんです。さぁ、これで制作に集中できるぞ、と思って。だから2年、3年の時は学科の授業の面では楽だったんだけど、大学って絵を描くことも重要だし、授業に出て色々な事を学ぶのも、今後の糧になる大切なことなんだけど、それだけじゃないっていうのを。色々な事をやったほうがいい。それはアルバイトだってそうだし、トリエンナーレみたいなもののボランティアに参加するのもそうだし、旅行に行くのもそうだし、とにかく興味があることを、学生だからできることを。時間的、年齢的なことで、やれることってたくさんあるから、臆せずに何でもトライして行く事が大切かな、と。良い事も、悪いことも、それは自分を豊かにする貯金で、将来いろんな方法で引きおろすことができるはずです。
勝又先生の西洋美術史が面白かったなと。あとは黒田先生の日本美術史とか。今も学んだ事を覚えていたりするから、自分にとって腹に落ちた授業だったと思います。大学院の高間ゼミも面白かったですね。高間先生の人柄も面白かったっていうのもあるんだけど、自分達でやったみたいな感じで、あれは完全に自主ゼミだったね(笑)。空想美術館とか本当に面白かった。ゼミの時間に合わせてせっかく用意した先生のお誕生日祝いをすっぽかされたり(笑)。
そうそう、そうだったの。でも講義って基本的にはあまり面白くないじゃん。お話が上手な先生もいれば、そうではない先生もいて。すごく高等な学問だと思うのですが、私の頭がついていけなかったんでしょうね。この授業聞く意味ってあるのかな、と。私には腑に落ちないことも多くて。でも大学ってそれだけじゃないぞ、と気付くのに2年かかったってことですかね。大学というもののイメージに期待を持ち過ぎていたから、そのギャップが激しかった。
そうだね、やることはちゃんとやってたから。高い学費払ってるんだから、大学を利用するだけ利用してやろうって思って、単位にならなくても授業出たりしてましたね。もったいない~って(笑)。社会に出ると色々ルールとか約束とか、守らなきゃいけないこととかあるじゃない?それって学生だから許されることはなくて、一緒じゃないかな。約束を守るとか、集合時間を守るとか、人の話を聞くとか。授業の時に雑談しながら授業聞いたりする人いるけど、逆に今度自分が何か話す立場になったときにそれされてごらんよ、人格疑うでしょ?
国立新美術館にて
聞き手:高橋唐子
2007年9月5日