山口 智子 さん

何がいいんだろう?って。
自分の価値観をシャッフルみたいなのがあって。


    2000年度卒
    画家
     

     
     
     
     
     
     
     
     
     

     
     

    あなたにあてた、長い手紙
     
     

    --- 出身はどちらですか?

    兵庫県です、西宮市っていうところで。甲子園球場とかがありますよ。高校卒業してこっちに住んでるので関西弁は出ないですね。家は、都会でしたから、あまり田舎には住んだ事がないですね。実家に帰っても家が酒屋をやってるので忙しくて。故郷って感じではないですが。

    --- 高校は?

    兵庫県の公立高校で明石高校という高校に唯一美術科がある学校があって。なんで美術をやり始めたのかとよく聞かれるんですけど、中学の時、親が今はお店屋さんなんですが、そのころ学校の先生だったんです。なんなく真面目に育てられちゃって、今もそれが染み付いていてあまりハメとか外せない性格なんですけど、勉強とかも当然できて当たり前という家庭で育って悪さもせず。中3くらいになってくると勉強はソコソコできるけどものすごくできる子ではなかったので、勉強していい高校いくことも興味が持てなかったし。すごくいい高校にいけたらまた楽しいんでしょうけど、そこそこって一番つまらないラインじゃないですか。競争して1番2番ってつくのがつまらないと思って。友達がピアノをやってて。その子が音楽科に行くって言い出してなんかカッコイイと思って。実技でいくような。私も勉強とかで1番とかを目指すんじゃなくナンバー1じゃなくてオンリー1的なことの方が興味が沸いてきて。絵は点数がつかなそうだし、好きな事ができる気がして。調べたら明石高校があって。こりゃ調度いいやっと受けたら運よく受かったみたいな。その辺からなんですけどね。

    --- その辺りから美大に行こうと思われたんですか?

    そうなんですよね。そのときは、周りに絵を描いている人が居なかったので絵を描いてると上手いね、とか言われるじゃないですか。でも高校に入ったらみんなすごく上手くて。もっと自由奔放に絵を描くのかと思ったら、学校で勉強するとなると順位とか付けたり課題があったりして。みんなの目標は美大に行く事みたいな空気で。

    --- そんな中、なぜ女子美を選ばれたのですか?

    私、本当に鉛筆デッサンが苦手で。でも、唯一ほめられたのが木炭デッサンだったんですね。彫刻とかにもむいてるんじゃないかとか言われるくらい。木炭デッサンの受験で受けれる大学にしようと思ったら、女子美は、木炭デッサンはないんですけど、関西の美大の油絵科の受験は鉛筆デッサンだったので、木炭デッサンの入試があるのは東京の美大だったんです。木炭デッサンが好きっていう単純な理由で東京を受験しようと。親には猛反対されたんですけれど。東京に出す、私立、絵っていうトリプルパンチですね。お前は何で生活してゆく気だと。親に対しての反抗みたいなのもあったのかもしれないですけど、ずっといい子で育ってきた自分に。でも、東京がいいなっていう。で、合格した女子美に。

    --- 入学した女子美での大学生活はどうだったですか?

    私は女子美の何を知って入学したわけでもなく、入ったんです。初めての一人暮らしだし、見るもの聞くものが新鮮で「よし、描くぞ!」みたいな気分で行くわけじゃないですか、油絵科なのに油絵を描いたことない人がいて。それが本当にびっくりして。

    --- アクリル絵の具での入試も可能ですからね。

    私は東京の美大に来るくらいだから絵がうまい人ばっかりなのかと思ったら、すごくうまい人もいたんですけど、この差は何だとびっくりして。でも、私は美術のギャラリー巡りをしたこともなければ、知識もなかったので、浪人とかして予備校でやってきたんだなっていう絵を描く人と油絵をやったことないで~す、みたいな人が描く絵ってどっちがいいかと言われればどっちがよいとも言えないというか。絵のよさってそういうものじゃなくて、っていうのを女子美から感じましたね。何がいいんだろう?って。自分の価値観をシャッフルみたいなのがあって。結局、並べたときにヘタウマじゃないですけど、そういう人の作品の方が気になったりすることってあるじゃないですか。構築的に描かれている人の絵は、あーうまいな、だけで終わっちゃう、というか。

    --- 女子美での思い出深い出来事ってありましたか?

    3年生だったか、課題で100号のキャンバスに何かを描くっていう課題があって。100号コンクールでしたっけ?私は、素直に100号を張りまして。みんな場所とってそんな感じだったじゃないですか。何を描こうかと思った時に全然何も思い浮かばなくて。みんなが100号かいてるのが、つまらない気がしてきて。同じ大きさの同じ形のF100の。一度、張った100号を取ってみたんですよ、全部。で、女子美でもらった小さい木枠にその100号分を切って張って。10枚あったかな?全部張りなおして。これで私の100号はこれです、みたいな感じのを連作で出したのが、今の始まりなんですよ、スモールサイズの。意外と大きさとかもバラバラなのも、女子美であまっててもらったキャンバスのサイズがバラバラだったからなんですよ。講評会の時も、みんな同じサイズのキャンバスがならんでいたので私だけちょっとカッコイイじゃん、と思ったんですよね。それまでは、暗い静物とか人物を描いていたんですけど、なんか違うと。よく行ってたおしゃれな美容室とかに「私、絵をかいてるんです」とかいっても、これ飾れないと思って。自分がやってることと、自分が生活していることにギャップが出てきたときで。だったら友達の部屋とかそういうところに飾れる作品を作るほうが自然かもと思って、油絵からアクリルにしたんですよ。私の中で受験で、油絵は技法とかを叩き込まれて。たまたま私の教わった先生が小磯良平が好きっていうのもあって。一番最初にプルシャンブルーとバーントアンバーを混ぜて下書きをして、だんだん明るい色をのせてゆくという、クラシックな。でも明るい色とか激しい色を使いたい時期ってあるじゃないですか。そういうのはダメだったので。最初は見たまま、ベーシックな色をのせる感じだったんですけど、私の中で油絵に限界を感じたというか。私の中で一回、油絵はこういうものだっていうのを壊さないと変われない。んじゃ、アクリルいいかなと思い切って替えてみたら急に楽しくなってきて。アクリルっていきなり肌色を使うのもありじゃないですか。それがすごい楽しくて。そのアクリルの作品を大学3年の時の女子美祭で展示をしたんです。それが初展示で。展示スペースをくじ引きで取りに行くのを忘れてて、空いてたのが廊下しかなくて。

    --- 覚えてますよ、オムライスですよね?

    あのころは色々あって。そのころおばあちゃんが亡くなって。親が働いていたのでおばあちゃんっ子だったんですね。月曜日から金曜日までは給食なんですけど、土曜日ってないじゃないですか。うちはお父さんもお母さんも仕事で家にいないので、おばあちゃんの家でご飯を食べていたんです。おばあちゃんが不憫に思ったのか、子供の喜ぶものを作ってくれるんですけど、おばあちゃんなんでオムライスかカレーかお好み焼きか親子丼みたいな4つくらいがずっと回ってて。私はその中でオムライスが一番好きだったのでおばあちゃんが亡くなった時にすごい悲しくて。おばあちゃんの絵を描こうかなと思ったんですけど、おばあちゃん顔をかくよりもおばあちゃんの作ってくれたオムライスの絵を描くほうがそのときの気分だったというか。それでかいたオムライスなので。サササーと描いたんですけど、あれを超えるものはまだできてない、気持ち的なピークみたいなものはそのときにはあって。本当はケチャップで「ともちゃん」とかハートとかかいてくれてたんですけど、そういうオムライスだったんです。

    --- だから印象深いんですかね?そういう意味があったというのは、知らなかったです。

    あのころ描いていた絵はおばあちゃんが亡くなって悲しいみたいな絵ばっかなんですごく暗いです。

    --- 洋画専攻で、よかったな、つかんだことってあります?

    何かがイヤで、何とかする、っていうことの連続で、自分からよし、やってやろうってことはあまりなかったかもしれませんね。やっぱり100号コンクールですね。女子美でよかったなと思うこと、女子美ってものすごい学校に来る人と来ない人と別れるじゃないですか、共学の大学はそこで彼氏とかできて学校が楽しくなって、でも女子美は外に彼氏ができてみんな学校に来なくなるんだと思うんですよ。スクールラブみたいなのはできなかったですけど逆に、外に向かいますよね、みんな。いい意味で色々な人とめぐり合うチャンスのあった大学だと思います。自分から意識して、外にでていく、みたいな。10代後半から20代前半で大学の外に出るか出ないかで。制作がどうとかっていうのはどこも一緒なんじゃないですかね。うまい、下手とかも個人の問題で学校とかではなく、うまけりゃいいのかっていうものでもなくて。大学は、時間をお金で買ってるなって思いましたね。親のお金で、ありがたいことですけど。時間がいっぱいあるじゃないですか。図書館でビデオ見たりしてもいいし、それが大事だったかもしれないし。自由な校風ですもんね。1、2年の時は張り切ってて、いっぱい授業もとって。ひとりで東京に出てきてやるぞ、って感じでした。コンビニでバイトしたり本屋さんでバイトしたり予備校でモデルとか。本屋さんでバイトした時期が人生で一番本を読んでましたね。大学生の時は状況がいっぱいありすぎて、あれもいいと思うし、これもいいと思うし、自分の道をどう進んでいいか分からないっていう人が多いじゃないですか。でも、色々なものをみているとその中でも自分の好きなものはこういうのかなっていうのがだんだんわかってくると思うので。とりあえず、色々見聞きしてる人の方が選択肢も多いじゃないですか。それしか知らない人よりいっぱい知っててその中で選べる人の方が。

    --- 毎回、絵にする具体的なテーマってあったりするんですか?

    あります。ひとつひとつあって。ストーリーを考えるのも好きで。時間が100あったら、絵を描いているのが10くらいで90くらいは考えてる時間なんです。その中で必然的に出てくるストーリーみたいのがあって。

    --- 絵に、人が登場することが多いと思いますが、それはなぜでしょうか?今回の作品は空間を使ったインスタレーションで“1枚の絵”を見るというより、空間を感じたのですが。

    描いていることはちょっとした、一部なんです。「絵」だけをかくというよりは、ずっと考えてきたものを形に。形にするなら、絵だなと。さっき、何で洋画専攻ってありましたけど、何でもいいんですけど一番伝えやすいのがたまたま、絵だった、みたいな。もっと、私自身でしゃべれれば、言葉にするのがうまければ詩人とかになってたと思うんです。言葉で表現できればもう、別に絵とか描く必要はないんだけれど、それはできないからその言葉を人に見えるものにしたい、伝わりやすいものにしようとしたら、それが絵だった、みたいな。伝えたいことが抽象的なので。

    ---表現手段として、たまたま絵になったということですか?

    そうです。他は、あまりやったことがないので。選んだ、というよりは絵だった。

    --- 日ごろは、どういう感じで制作をされているんですか?

    8畳、3畳、というところに住んでいて。ワンルームですね。そこにベッドがあって机があって本棚があってタンスがあってみたいな。普通の家で描いてます。自分の部屋が一番落ち着くので、そこでかける範囲で。描いている時間自体は短いので、ぱっと描いていると思われてしまうんです。絵を描いている時間は短いですが、それをかくのに一ヶ月くらい考えてるんです。考えているのは、ずっと、常に考えていますね。電車乗っててもああして、こうしてと。気になる言葉とかも覚えていたりして。言葉からとか気持ちから絵ができることが多いので常にメモしたりとかそういうのを入れるとずっとですね。眠い気持ちでいい絵をかけるかっていったら、結局集中力もなく、いい絵が描ける気がしなくて。私、仕事をしていていいなと思うのは、絵だけを描いていたら絶対煮詰まると思うんですね。時間が限られているので逆算したりして、段取りたてるのは好きなので。時間も場所もいっぱいある中、自分がどこまでできるか試してみたい気持ちもあるんですけどね。今は、その気持ちがそんなにないので今の中で最大限ですね。自分を前に出して、見てください!っていうのも苦手で。自分で本を作ったんです。前、展覧会をやったときに、私がよくしゃべるので、これは?これは?と聞かれるんですよ。この絵は何?みたいに。話ててもいいんですけど話疲れてしまって、本を作ったんです。そういうのって、聞きたい人は聞きたいけれど、聞きたくない人は聞きたくないじゃないですか。そういうのを押し付けがましくするのもいやだったので。「あなたにあてた、長い手紙」っていうんですけど手紙風にかいたら、人の手紙って見たい人と見たくない人がいるじゃないですか、だから届けばいいな、くらいの手紙をかいてそれを本にしたんですけど。そういうのを作るのはすごい好きなんですけど営業したりとか、苦手で。VOCA展とかはウキウキでしたもん。あれも、小柳さんが女の子がアイスクリームをなめてる女の子の絵を買ってくださって。その絵は、レストランに行くと、アイスクリームを頼んでくれるんですけど、バニラなんですよ。私はずっとイチゴが食べたくて。でもイチゴが食べたいって言えない子供だったんです。でも、アイスを頼んでくれるって幸せなことなんですけど。なんか頭の固い親のもと、こういう性格になったので大人になってイチゴのアイスクリームを食べたいって言う気持ちを絵にした絵なんです。それを小柳さんが気に入って買ってくれて。それをバーゼルのアートフェアに出していただいて。それをたまたま見た人が、VOCA展に推薦してくれました。全部繋がってますね。いつも思うのが私を売りたいんじゃなくて、私の絵が人とのコミュニケーションのツールになっているのかなっていうのは思っていて。今まではそれできましたね。私、漫画家になろうと思ったんですよ。高校のころ。絵だけ、ということより絵と文章が好きで。絵と文章が一緒なもの、絵本とか。大学生のころ安野モヨコさんのアシスタントしたことあるんです。余計な事をした人の方が面白い、回り道というか。でも、自分の描いた漫画は面白くないんですよ、文章能力がないみたいで。やるなら吉田戦車みたいなギャグマンガ。でも落ちないってゆうか。いい意味で言えばシュール、たんたんとしちゃってて。なんの落ちもないなみたいな。だから、絵だったら一枚に集約できるので。

    --- 絵は山口さんにとって最善の手段なのですね。

    今の所は。これからまた変わるかもしれませんが。でもかれこれ10年くらいこういうかんじできているので定着っていうとあれですけど。

    --- 最後にコメントをいただけますか?

    今だから言えますが、学生時代の先輩とかも、学生のうちは遊んでおけばいいよって言われたんですけど、何して遊べばいいか分からないんですよね、学生は、そういう気持ちを持ってて。目の前のことをやるというのはすごく大事ですね。一番大事なのは続ける事ですよ。表現方法や内容は変わるかもしれませんけど、絵をかくことは、小さいころから好きだったので死ぬまで描くと思うんです、震える手で。絵って何もなくてもかけるじゃないですか。ものとか、ものとかにはこだわりはなくって。成功っていう言葉に対するイメージって人それぞれだと思うんですけど、お金をもうけるとか、すごいところで大展覧会をやって大評価を受ける事とか、そういうこともひとつだと思うんですけど、多分、その大きい意味で成功って死ぬまで描くことの方が、ある意味、成功なんじゃないか。だとしたら、今の居る自分っていうのはそこに行くまでの過程にしか過ぎないじゃないですか、今、すごいことやってやろうっていうことよりも自分の経てた目標、自分の目標はそこだったりするので、そこに向かうまで、どれだけ自分が絵をかくことに興味を持ち続けられるかっていうことの方が、大事。好きな事を、好きな気持ちでやり続けることが大事ですよ。「続ける」は私の中でキーワードですね。何が大切かを見極めて、感覚的にこれだけはっていうのがあると思うので、一回思ったら、それを続ければ結局、絵を描いている人なんていっぱいいるじゃないですか。でも、卒業して8年したら周りに絵を描いている人がガクッと減っていて。私が蹴落としたわけでもないんですけど、しつこく続けているといいこともあるんだなと思うことがあって。継続は力なり、ですね。自分が自慢できることといったら、飽きずに続けてきたことですかね。

    銀座にて
    聞き手:岸鹿津代、高橋唐子
    2007年8月29日


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