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トークセッション 野見山 暁治 × 入江 観 「アールブリュットとアートの意味」

参加者名:
小川正明(短大部長・絵画・教授)
吉武研司(絵画・教授)

ゲスト:
野見山暁治(洋画家)
入江観(本学名誉教授)

小川正明(以下小川) 今日は共通プログラム3回目の授業です。全体講義としては、今回が最終回となります。今日は、皆さんも楽しみにしていた対談授業です。今現在の日本の洋画界を代表するお二人の先生をお招きしました。共通プログラムの授業では、「障害理解」という分野が含まれております。今日は、「障害理解」に関連し、「障害者アート、"アール・ブリュット"」について対談を行います。それでは、この対談をコーディネートしてくださった吉武先生にマイクをお渡しして、司会進行をお願いしたいと思います。

吉武研司(以下吉武) おはようございます。吉武です。今日は、知る人ぞ知る、野見山暁治先生をお招きしております。それでは早速ですが、スライドに野見山先生の略歴を出していただけますか。野見山暁治先生は1920年に福岡に生まれておられます。当時の東京美校、現在の東京藝術大学を卒業されています。その直後に応召され、兵隊時代を過ごされておりました。そして、1952年から64年の12年間、野見山先生は、フランスに留学をなされています。その頃の日本では、渡仏すること自体がとても珍しい時代でした。留学して6年後の1958年、第2回安井賞(※1)侯補新人展にて安井賞を受賞。のち1968年、東京藝術大学の先生となられ、後進の指導にあたりながら、2000年には、文化功労者に選出されました。また一方、野見山先生は数々の著書もお書きになり、『祈りの画集 戦没画学生の記録』を出版、1978年には『四百字のデッサン』で第26回日本エッセイスト・クラブ賞(※2)の受賞をされました。それでは、先生、中央にご登壇していただけますか。ちなみに、言い忘れましたが、私の母校の先生でございます。今日はどうぞよろしくお願いします。

 それでは、野見山先生の作品を何点かご覧いただきましょう。
現在、副都心線の明治神宮前駅に野見山先生が作られたステンドグラスがあります。みなさん、副都心線に乗った際に、ぜひご覧になってください。

 この写真は、私たちが野見山先生のアトリエへ「対談」のご相談に伺った時の写真でございます。いろいろとお話をしながら対談のお話に及ぶと、「入江先生はおれに対してどう思うかな~?」という話が出てきて、盛り上がりました。一方、入江先生へ対談のお話をお伝えしたら、「よし、この対談を受けた!」という快諾ぶりで盛り上がって実現したんですね。このような感じで実現した対談なので、きっと今日は何か面白いことがあるかと期待しています。
 今の写真は、野見山先生のアトリエでしたね。とても広いアトリエで、すごく素敵な建物です。篠原先生という建築家が建てられた建物です。

 安井賞侯補新人展にて安井賞を受賞された作品は、当時、かなり珍しい画風だったと思います。骨太い日本人の絵という感じになっていますね。興味のある方は画集を見てください。こちらの絵は、ゾウをテーマにした作品は少し普通の石膏デッサンとは違いますよね。こういった画風は興味をひかれると、とても惹かれていく作品ですね。

 次に野見山先生の対談のお相手、入江先生をご紹介いたします。入江先生は"女子美の顔"のような存在の先生です。入江先生がお若い頃の写真を用意しています。1935年に栃木県日光市でお生まれになりました。入江先生も同じく東京藝術大学を出られています。そして、1962年に渡仏、フランス国立美術学校にて学んでらっしゃいます。野見山先生がフランスにいらした最後の2年間は、パリでご一緒だったんでしょうか。その後、1985年に、女子美術大学の短期大学部教授として長い間、教壇に立たれていらっしゃいました。それでは、入江先生、ご登壇ください。みなさん、拍手でお迎えください。
入江先生は、1996年に第14回宮本三郎記念賞(※3)を受賞され、女子美術大学名誉教授および付属の高校・中学校の校長に就任、歴任されています。2004年には『蒼天の画家、入江観の世界展』等を開催されています。
入江先生の作品は、人物が入る風景の作品です。小さい人物が風景の中で魅力的に描かれている作品です。
 
 最後に、本日の司会進行役をつとめます私自身(吉武先生)の紹介を付け加えさせていただきます。私は、佐賀県の生まれです。現在、北参道駅には、私の作品の壁画があります。立ち寄った際、見ていただければと思います。
お二人ともNHK「日曜美術館」という番組の中で、よく出演されてらっしゃいます。対談の名人でございますので、今日は、司会進行が必要のないくらいかと思います。

 それでは早速、対談入ってまいりたいと思います。

「アール・ブリュット」っていうのは、直訳すると「生の芸術」という意味です。「アール・ブリュット」のコレクション(※4)がスイスのローザンヌの方にありまして、ジャン・デュビュッフェ(※5)という画家が集めたコレクションを元に出来上がったものです。そのコレクションは、時代的に重要な意味を持ちます。先生方がそれぞれ「アール・ブリュット」と出会った最初の頃のお話をそれぞれ伺うことから始めたいと思います。

※1 安井賞
1957年、安井會太郎の画業を顕彰し、現代美術の具象的画家の発掘・育成と、現代美術の振興を目的に設立された。安井會太郎の画風に基づいた具象的な作品を評価対象にしている。50歳未満の西洋画家を対象とし、新人洋画家の登竜門とされ、画壇の芥川賞とも言われていた。(1997年、第40回にて終了。)
※2 日本エッセイスト・クラブ賞
日本エッセイスト・クラブが主催。1952年、新人エッセイストを待望し、激励を目的に設立された。文芸作品等創作を除く一切の評論、随筆等の中より各関係方面の推薦を受けた選考委員により選考する。
※3 宮本三郎記念賞
財団法人 美術文化振興協会が1981年に創設。
洋画家 宮本三郎の業績を記念し、優れた具象洋画作品を選考し、賞の授与及び受賞作家の回顧展を開催した。
※4 アール・ブリュット・コレクション (Collection de l'art brut)
アール・ブリュットの概念を提唱したフランスの画家、ジャン・デュビュッフェが蒐集したコレクションをもとに発足した、スイスのローザンヌにあるアウトサイダーアートの美術館。
※5 ジャン・デュビュッフェ (1901年7月31日 - 1985年5月12日)
20世紀のフランスの画家。
アンフォルメル(「非定形」の意。1950年代に盛んになった前衛美術運動)の先駆者。
従来の西洋美術の伝統的価値観を否定して、「生(なま)の芸術」を提唱した。