女子美術大学美術館

2012年度

女子美術大学美術館コレクション公開
第8回『日本の裂 春』

2013年3月27日(水)~4月22日(月)

作品点数:8点

小袖には四季折々の草花が表現されます。日本のように夏と冬の寒暖の差が激しく、また、春や秋との区別もはっきりした自然環境ゆえ、春夏秋冬の四季が意識されるのだといえます。このような意識は装うことにも反映され、服飾に四季を取り入れ、それを楽しむ文化が生み出されました。様々な植物を描くことで、季節にとらわれない装いが楽しめるような合理性も持ち合わせています。
本展では自然環境とともに発達した服飾の芸術表現をお楽しみいただきました。


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女子美術大学美術館コレクション公開
第7回『日本の裂 梅と桜』

2013年2月27日(水)~3月25日(月)

作品点数:8点

梅は奈良時代の歌人に最も愛された可憐な花で、春の訪れとともにかぐわしい香りを放ちつつ咲きます。桜も古来より日本人が愛してやまない美しい花です。いずれも、春の訪れを寿ぐ(ことほぐ)もので、これらの花を衣裳として身にまとうことで、女性たちに喜びを与えてくれたことと思います。
「裂」は、かつて着用されていた小袖の断片です。本展では、江戸時代の美意識を感じ取っていただける8点の裂をご紹介しました。


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女子美術大学美術館コレクション公開
第6回『日本の裂 能装束と小袖裂』

2013年1月16日(水)~2月25日(月)

作品点数:8点

江戸時代には華やかで豪華な絹織物の小袖が多く作られましたが、着用できたのは、ごく一部の上流階級や富裕な町人層でした。
小袖類の多くは、大人用が古くなれば子供用に仕立て替えられ、または小物を包む袱紗や寺院に奉納される打ち敷き(うちしき:寺院で使用するテーブルクロスのようなもの)などに作り替えられましたので、今日まで残されたものは多くはありません。しかし日本人は、美しい小袖の断片を慈しみ鑑賞するという方法を考え出し、多くの小袖裂(こそでぎれ)が残されています。


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女子美術大学美術館コレクション公開
第5回『江戸時代裂』

2012年9月19日(水)~10月28日(日)

作品点数:6点

室町時代頃から表着(おもてぎ)として着用されるようになった小袖。武家階級も町人階級も着用し、小袖に施される意匠も華やかなものへと変容していきました。模様(デザイン)が発達するにつれ、刺繍や絞り染などの様々な技術により、相乗効果がもたらされ、小袖はいよいよ豪華で雅な、時には粋な小袖が制作されるようになりました。
本展では、小袖がもっとも発達した江戸時代の美意識を6点の裂を通してご紹介しました。


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女子美術大学美術館コレクション公開
第4回『ペイズリー裂』

2012年8月22日(水)~9月16日(日)

作品点数:6点

勾玉のような模様をペイズリーといいます。もとはインド北西部に位置するカシミア地方で織られるショールにその模様がありました。
1800年代のはじめにヨーロッパでカシミアショールが大流行し、19世紀半ばに機械織によって量産されるようになりました。その中心地がスコットランド地方のペイズリーであったため、この模様をペイズリーと称するようになりました。
本来のカシミアショールは、制作に1年以上の年月が費やされ、薄くて軽やかなカシミアショールは指輪を通るほどコンパクトで、肌触りは極上であったといいます。 本展では、6点のペイズリー裂から、瞬く間に変化してしまう技術や美意識を感じていただきました。


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女子美術大学美術館コレクション公開
第3回『絣裂』

2012年7月4日(水)~8月6日(月)

作品点数:8点

日本語の「かすり」という言葉は、文様がかすれたように見えることから名付けられたといいます。絣はインドを起源とし中央アジアから東西へ広がったとする説が一般的で、古くから世界各地で織られています。
絣は、江戸時代末期から明治にかけて生産の最盛期をむかえ日本各地で織られるようになりました。遠い国からやってきたエキゾチックな絣が日本の風土になじみ、さまざまな表現を繰り広げ、身近な日常着になりました。
本展では、多彩な絣の世界をご堪能いただきました。


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女子美術大学美術館コレクション公開
第2回『縞裂』

2012年6月6日(水)~7月2日(月)

作品点数:17点

縞の着物といえば、江戸時代の浮世絵に描かれている美しい女性達の姿から、江戸の「粋」を感じられる方も多いと思います。江戸時代より庶民に着用されてきたイメージが強いですが、もともとは東南アジアの島々より輸入されてきた織物のことを「島」あるいは「嶋」織物といって珍重していました。日本人に好まれた縞織物は明治時代以降も庶民にとって最も身近な織物であり、木綿という素材の点でも、実用性のある衣服として重宝されました。
本展では、小さな断片が貼り込まれた裂帖などをご紹介しました。


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第1回『紅型裂』

2012年5月17日(木)~6月4日(月)

作品点数:8点

紅型は、琉球王国時代(1897(明治12年)に滅亡。以後沖縄県となる)の衣裳です。
王家では紅型衣裳を非公式な行事などに、また庶民は晴着として着用していたようですが、着用には厳しい制限があったそうです。紅型の起源はわかっていませんが、技法や模様から大和(日本)の影響が大きいと思われます。紅型は、太平洋戦争によりその多くが消失してしまいましたが、戦前にコレクションされていた衣裳が日本本土に残されています。
本展では、デザインの素晴らしさや色彩の美しさを8点の裂を通してご紹介しました。


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