タイトル「障害理解とアートフィールド参画支援の取組」

海外視察:アールブリュット


担当者名:
小川正明(絵画・教授)

参加人数:
大学教員4人

参加者:
小川正明(短大部長・絵画・教授)、吉武研司(絵画・教授)、横山純子(情報デザイン・助教)、木下道子(教育研究推進役)

活動日時:
2010年3月18日(木)~3月25日(木)

活動の目的:
アールブリュットコレクションの見学を行う事で、障がい者アートの国内外資料の充実を計る。

活動の場所:
2010年3月18日(木)~3月25日(木)まで
ローザンヌ(スイス)
コレクション・アール・ブリュット・ローザンヌ

活動内容:
フランスの画家ジャン・デュビュッフェ(Jean Dubuffet 1901-1985)により、既存の文化、美術教育などに影響されていない芸術というアー ル・ブリュット(生の芸術)という概念が誕生した。西洋の文化や社会的規範にとらわれずに作られた約3万点におよぶ作品を世界各地から蒐集し、うち700点を常時展示している。

世界全体で共生を図り、持続可能な社会を実現し、未来を切り開くにはアート&デザインの独創力・展開力が必要である。ヨーロッパは長い歴史の中で育まれただけあり、資料が豊富で、本、DVD、作品など充実しており、それだけ障がい者へのサポートが行き届いている事でもある。又、日本でも近年、差別してみられていた障害がい者の作品が、個人の人格での評価に変わりつつある事が実感されるような展覧会が多く見られるようになっており。それら資料を用意する事で、本学学生の日常の活動のサポートとなり、制作活動や研究を進めていく上で大いに役立っている事を実感している。

担当者の感想:
「コレクションの意味と内容」
アール・ブリュットでの説明では、何かきつい線引きがなされており、他との違いを強調されるのに抵抗を感じ続けていました。障がい者アートが健常者といわれる人達に、どうしてこんなに強く響くか、ということを考え続けているからです。子供のアート、民族芸術、素朴派、女性のある作業によるアートなどと重なっていく部分にこそ面白さを感じているからだと思います。現代美術とも重なっており、人間の「生でエネルギーのある源泉」から、汲み取る方法のヒントがあるからだと思います。
女子美の卒制の半分以上はこういった表現と重なり、秀作を出しています。
学生自身の内部での精神活動には、境目がないと思います。だからこそ、女子美での障がい者アートのコレクションの意味があるとも思っています。
このコレクションがしっかりして育つことで、刺激になっていくと思います。

「ネーミングについて」
インクルーシッドデザイン(inclused design)というのにロンドンのロイヤルカレッジで出会いました。
障がい者のためのデザインが、障がい者が参加してデザインすることにより、より面白いデザインが生まれ、それがまた健常者にもいいデザインになっている、という話です。
「含む」という意味は、なかなか示唆に富んでいます。
人生の中では、だれでも、段々障がい者になっていき、死を迎えるわけで、境目がありません。
旅での夕食の時の話し合いで、四人の意見が一致したところが、「インクルーシッド・アート」という概念です。
お互い、重なり合う部分、共有してする部分、含んだ部分を意識したアートの考え方を推し進めたらどうだろう、ということです。これこそ、皆に有効に働きかけ、響かせる意味があると思われます。
これを女子美なりに工夫し、「Contain ART」という言葉を見つけ、提案したいと思います。

「いろいろ思うこと」
「オリンピック」と「パラリンピック」の違いと「健常者しかもアカデミズムの教育を受けた人」と「アールブリュットの人達」の違いと同じではないようだ。
どこが違うか。健常者とは明らかに違う世界に住んでいるところです。同じ様な舞台ではない、というところです。評価のやり方も違うというところかと思います。
身体障がい者と知的障がい者の違いというのもあります。
しかし、その選ばれた人達の素晴らしさと感動の質は同じものがあるように思います。
今回の旅行で、おまけの要素の成果があったのは、分野の違う人で構成された合宿みたいなものでなかなか刺激的でした。多くの発見もあり素晴らしい体験でした。感謝しております。 
何かいい形が生まれてくるとしたら素晴らしいと思います。

女子美術大学短期大学部教授 吉武研司
アール・ブリュットの総本山、「コレクション・アール・ブリュット ローザンヌ」。フランスを代表する画家ジャン・デュビュッフェ(1901~1985)が、美術教育や商業美術とは無縁の人々が作った「生の芸術(アール・ブリュット)」の中に、芸術本来の姿を見出し、作品の収集を行った。彼が集めた4000点の作品をスイスのローザンヌ市に寄贈し、1976年に開館した。
 静かなたたずまいの街に、素朴なごく普通の建物があった。こんなところに5万点のコレクションが本当にあるのか、一瞬疑ってしまった。しかし、中に入るとひとつの宇宙のようなとんでもない広さがあって驚いた。薄暗い空間に広がる想像を絶した世界にクラクラしてしまった。
 その作品群は、落ち着いて見ることができないような不思議な印象を与える。ひとつひとつが肌理細かく、苛立ちの要素とねじ倒されるような引力で、こちらの視線を泳がせてしまう。絵を描く人間として、「自分だったらこうはしないよな~」という連続。頭の境界線が揺さぶられ、壊され、溶けていってしまうような感覚に襲われた。
 我々が訪問した時には、アフリカの方々の企画展が開催されていた。作品を見ていると、アフリカの豊かな民話を聞いているような感覚に陥った。人間と動物と植物と神様が混ざり合って形と色になり、原色の世界とともに明るいユーモラスな語り口が伝わってきた。人間はみんなアール・ブリュットの世界の中に含まれているのだ。そして、その方が幸せなんだと思う。
 アイディアが溢れ出していて、絵を描く喜びに満ち溢れているアール・ブリュットの作品と向き合っていると、アール・ブリュットの定義なんかどうでもいい、という気持ちになってしまった。内なるものとの対話を行っているアートに対し、境目のない評価の方法を見つけたり、彼らに他のメディアで遊ばせるような機会をつくれないだろうか。ローザンヌは、見えないものを見えるようにするという、絵を描くことの根源的な意味を考え直させられる場所である。自分たちにできることは何か、を突きつけられてしまい、大きな宿題を日本に持ち帰ってくることになったのである。