

野見山暁治(以下、野見山) アール・ブリュット(=「生の芸術」)に、私はわざわざ出会ったという意識はなく、それらは、絵描きの中に最初からあるものなのですね。初め、みんな子どもの時は原始的な衝動を表現したくて、絵を描くわけです。それが大人になるとだんだん絵を描くことをやめてしまう。子どもの頃は、親がどんなに叱っても描くことをやめない。小学生になり、中学生になり、いずれ、その描く情熱が薄らいでいき、描くこと自体をやがて忘れてしまう。そして、大人になると、絵を描かなくなってしまう。あなたたち、絵が好きで描いているなら、まだ少し子どもじみていると言えるわけだ。絵描きとは、絵を描くことを忘れないでずっと絵ばかり描いている人のことをいうのですね。絵を描きたいという原始的な衝動を持ち続けている。だから、絵描きはみんな「アール・ブリュット」という言い方ができないこともない。少なからず、絵描きには、「アール・ブリュット」的な要素があるのではないかということです。
絵というのは、どこからどこまでが知的障害者の絵で、どこからどこまでが健常者の絵かという判断をつけるのは難しい。ある時、絵を描いている僕たちは、何かに一所懸命に没入していくと、一般常識からはみ出してゆく恐れがある。それは、少し極端かもしれないが、絵描きには、実生活に順応しにくいところがあるということだ。そのあたりの話について、入江さんからもお話を聞ければ。
吉武 入江先生からアール・ブリュットに対してのお考えを伺いましょう。
入江観(以下、入江) 吉武さんから、僕と野見山先生とは意見が違うという前提がありましたが、全くその前提は間違っていると思います。違うかどうかも分からない。もしかしたら一緒かもしれない。あらかじめそういう対立の設定で対談を盛り上げようという魂胆はさもしいと思うんですが。
全然最初から対立しているなんていうことは全くないですね。僕はただ「アール・ブリュット」という言葉があって、ジャンル分けをしている世の中があるっていうのを知っていますけどね。目くじら立てるつもりはないけれど、そもそもそういうジャンル分けが気に入らない。僕は「アール・ブリュット」と言われるものにとても関心が強くて、そういう展覧会があれば、非常に興味を持って見に行っています。実際に、昔、資生堂の本社で行われた展覧会(※6)を見て非常に面白かったと思うんですね。
吉武先生がさっき言ったように、「ブリュット」っていうのはフランス語で「生の」「生のままの」という意味を指します。要するに「加工されていないもの」という意味ですが、本当の絵とか芸術というものは、本来そういうものだと僕は思っています。だから、本当にいい絵とか、いい芸術作品があれば、それは言葉の本来の意味で「アール・ブリュット」だと僕は思っているわけです。何か特別な病気の人をジャンル分けし、それだけが「アール・ブリュット」だとは思わない。僕がなぜ「アール・ブリュット」というものに興味を持つかといえば、そういう「生のままの」「加工されていないもの」が作品の中にあるからです。障害者の描く作品でも、健常者の描く作品でも、いい作品にはそういうものがあると僕は思って見ているわけです。
吉武 僕は、小川正明先生、木下道子先生、横山澄子先生と、4人で、スイスのローザンヌのアール・ブリュットという美術館を訪ねました。そこでは、ジャン・デュビュッフェという人の「アール・ブリュット」の定義について、学芸員の方よりお話を伺いました。学芸員の方は、「ここは特別な美術館なのだ」という意識が強くあり、「アール・ブリュット」の定義をかなり強く強調されていました。その基準は七つありました。その一つ目として芸術教育を受けてない、要するにアカデミズムの影響を受けてないことを挙げていました。二つ目に、制作活動や表象の行程に新たな意味付けをすること。三番目、独創的かつ一貫性のある表現体系の適用。四番目、特定の文化に属しないこと。五番目、制作活動の自給自足的な発展。六番目、受け手の不在というのがあります。七番目、作者はいかなる文化的・社会的認知や賛辞にも無関心であること。この七つの条件を出されていました。そして、それは子どもの絵とも、民俗芸術とも異なるということを強調されていました。
その第一番目の定義、「芸術教育を受けてない」ことについて、その「アカデミズムの影響」という問題を切り口にお話を願います。野見山先生も入江先生も美大の先生をされていらっしゃるので、教育者という観点も切り口にして、お話を伺えたら幸いです。それでは、まずは、その辺りのお話をいただけますか。
野見山 僕もあなたたちもみんな含めて、絵を描いている人たちっていうのは、自分で見たものを、自分で感じたように描いていると思い込んでいるけれど、実は「絵」というものは、人類が始まって以来の長い歴史があり、今につながっているのです。自分では気づかないけれど、実はその歴史の流れを汲みとり、模倣をしているとこがあるのです。だから、「自分で好きなように描いています」と言っても、僕らは「絵」という歴史の中の共有を受け継いで描いている。
だから、一所懸命僕らが絵を勉強しているということは、つまり、太古からの「絵」の流れというものを勉強しながら、現代に至った。そして「絵」という歴史の産物を僕らが受け継いでいるのです。そういう歴史の流れの中で、「絵」というものの教養を何も受けていない人がいきなり描き出すと、それは本当に自分だけの絵だと言えるかもしれない。
人間の知性や生活と、どのように関わって「絵」というものが今日に至ったか。誰しもが流れの中で「絵」を描いているのだけど、知的障害者の絵は「絵」というものの概念に入らない。それは僕らが忘れていた、描きたいという心情、何にも制約されていない、生まれたままものによる表現なんだ。何も教育を受けずに絵を描いたらこんなものが出来るよと、そういう絵なんですね。それに僕らはびっくりする。でもそのびっくりというのは、その絵がいいとか悪いということではなくて、「ハテナ?」と疑問をなんですね。僕らが描いている「絵」というものを見直すと、それらは表現したいという生のものではないのではないか?と。つまり、僕らが描く「絵」とは、長い歴史の中で位置付けを得た秩序の中の「絵」という約束なのではないか?と反省が出てくる。そう考えると、知的障害者の絵は何だろうとびっくりすることになるんですね。
吉武 どうですか?
入江 野見山先生のお話に反論する気は全くなく、それどころか、全く同意見を持ちます。僕は長いこと美術学校の学生の前で長いこと先生をしてきてね、天につばするようなことを言うわけだけどね、人は何で絵を描くのかということを時々考えるわけです。人類で、一番最初に絵を描いた人のことを考えます。僕らは幸か不幸か分からないけど、生まれた時に「絵」というものがすでにあった。クレヨンだとか水彩絵の具が用意されていて、学校に行けば図画の授業というのがある。美術学校で、絵の勉強をすることもできる。美術館もある。そういう恵まれた環境の中で自然に「絵」というものの存在が、「絵」としてあるのが当たり前だと思っている。それが絵を描く人間にとって、本当に幸せだったか不幸だったかというのをもういっぺん考えてみる必要があると思う。
一番最初に絵を描いた人は、そんなもの(絵を取り巻く環境)もなければ、「絵」という言葉すらなかったわけです。気持ちの中に湧いてくる描きたい情熱が、その辺に落ちていた燃えがらか何かの道具を持たせ、壁に絵を描かずにはいられない状態にした。そういう衝動的な気持ちがあったわけでしょ。そこから「絵」が始まったと僕は思っているわけね。それが一番純粋な「絵を描く」という状態なんだと思う。そういうことから言えば、現代に生まれてきた僕らは、すでにいろいろな「絵」というものについての付属物に囲まれて育っている。それは考えてみれば、表現者として「絵」を準備されている環境にある、というのは不幸と言えないこともない。
アール・ブリュット(=「アカデミズムの影響を受けていない人々」)と言われている人たちは、「絵」について用意された環境からの影響がない、極めて純粋に描きたいという気持ちと、描くという行為がつながっている。そこにいわゆる美術という教養が入ってこない。その純粋さに僕らは「アール・ブリュット」惹かれるところがあるのではないかと思っているわけです。
野見山 私は去年か一昨年か、そのアール・ブリュット(=「アカデミズムの影響を受けていない人々」)の人たちの展覧会が、汐留のミュージアム(※7)であって、その展覧会を見に行きました。その作者本人たちも来ておりまして、「この人が絵描きさんです」という紹介もされるんだけど、紹介されても、自分が発表したいとか、皆さんの批判をどう受け止めるかという態度がまるでない。つまり、批判というものを拒んでいる。この人たちは、この世の中に順応しようという時にどうしていいか分からないくらい、それは彼らにとって、とっても難しいことなんです。そうすると、どうしても自分の中の世界を作り、その中に逃げ込まざるを得ない。その時、彼らは自分の世界を紙の上に描くことによって再現したり、粘土で作り上げたり、廃材を集めて、自分の棲家をそこに見出すのです。
大体、健常者にとって、絵を描くというのは、自然の美しさや雄大さを自分の手でなぞって再現したいとか、忘れがたい人の顔を自分の中に永久に取り込みたい、またあるときは、権力に対して、その反抗する思いをキャンパスの中でぶちまけたいとか、そういう夢や願望なんでしょう。こういう障害者の方たちは、夢の世界を確実に自分の中に現実として獲得しないかぎり、生きてゆくことができない。だから、描くなと言われても必死になって描く。 だから、誰かに見せるために描いているのではないから、見せようという気持ちはまるっきりない。その作り上げた世界の中に逃げ込むことで精一杯だから、自分の世界を具現したらそれで満足なので、描いたら捨ててしまう人たちが多いんですね。後で人の批判を仰ぐということはないんですね。批判を仰ぐというのは、この世の中の秩序の世界入ってくることなので、むしろ彼らは、そういう秩序に入ることを拒んでいる世界にいるんです。
スイスの大使館でアール・ブリュットのアーティストたちを招待してパーティーが開かれました。僕もそのパーティーに出向きましたが、彼らをみると、パーティーがうっとうしくてしょうがない様子なんですね。その中に、1人の小父さんがいまして、その小父さんが何か感想をと求められていました。すると、小父さんは、うれしそうな顔をして、歌を歌ったんですね。長々と自分で知っている歌を1番から3番まで歌った。もういいよと誰かが言っても、それでも歌いたい。本当の絵描きというのはああいうものではないかと、僕はうらやましかった。「私は描きました」、「私の絵を見てください」というのではなくて、「自分は結果的にこういうものを描いてしまっただけの人間で、あとは何の感想もない」という態度なのです。感想を言えと無理に言われれば、自分の好きな歌の世界に入っていく。僕らから見ると非常に立派なんです。造形作品というものは、見たままのそれだけのものです。見た人がそれをどう感じるか、何も言葉は要らない。こういう思いで描きました!と言っても、それが本当のことなのか、怪しいものです。僕はこの小父さんが歌ったとき感動しました。こんな幸せな感想があるだろうかと。
しかし、自分だけの世界に没入した作品が、どうして僕らに向けて、「本当の「絵」はこういうものだよ」ということを突き付けてくるのかが不思議でしょうがない。私は「アール・ブリュット」(=「生の芸術」)に関する講演依頼を受け、「アール・ブリュット」とはどういうものだろうと、自分なりに絵をたくさん見ていろいろ考えたけど、結局答えが見つからないんですね。何故それらがいいのかが・・・。それについて、皆さんは、私と一緒に考えてくれたらいいなと思っています。
※6「Passion and Action ― 生の芸術 アール・ブリュット」展
株式会社 資生堂主催
(2005年9月2日7〜11月27日/ハウス オブ シセイドウ(中央区銀座))
※7 「アール・ブリュット/交差する魂-ローザンヌ アール・ブリュット・コレクションと日本のアウトサイダー・アート」
アール・ブリュット・コレクション(スイス ローザンヌ市)とボーダレス・アートミュージアムNO-MA(滋賀県近江八幡市)との連携による企画展。
(2008年5月24日~7月20日開催/松下電工 汐留ミュージアム)