

入江 スイスの大使館のパーティーで歌を歌ったのは、日本人ですか。
野見山 日本人です。その小父さんはこの間亡くなったと新聞に出ていました。その小父さんは、どこかの精神病院に収容されていました。病院の倉庫にあった段ボールの整理をしていた時、人知れず段ボールへ絵を描いていたのでしょう。結婚式の絵が多くて、何となく男と女の絵を、うれしそうにバラ色で描いていました。倉庫では、邪魔になるものだから、描いてあるのを片っ端から捨てられちゃうんだけど、それをある人が見て、この絵は面白いんじゃないかと見つけたわけですね。このことで分かるように、障害者の人たちの絵っていうのは、自分の世界にうっとりと自分が入り込んでしまったあとは、本人にとっていらなくなるのですね。
スイス ローザンヌの美術館では、「アール・ブリュット」という言葉で一括していて、「アール・ブリュット」の資格は、<秘密><孤独><沈黙>であることであり、「自分は絵を描いています」、「自分の絵を発表したい」という人たちには資格がないという。だけど、この間、池袋で開かれた「心のアート」という展覧会(※8)では、出展者に賞を出していた。精神病のお医者さんも加わっていて、「賞を出してその人たちが喜びますか?」と尋ねたら、彼らは賞をもらって、「うれしい」と感想を持つと聞いた。だから、僕は、「アール・ブリュット」である定義をあまり沈黙とか孤独とかって限定するのもおかしいなと思うんです。評価されることがやっぱりうれしかったという人も中にはいていいと思っていて。
私が生まれた頃、フランスのグルノーブルの近くにシュバルという郵便配達の小父さん(※9)がいて、その小父さんが空想の家を建てた。これが名物になっている村(※10)があります。その小父さんは明けても暮れても郵便物を配達しながら石ころを毎日拾って、結局、普通の人間では考えられないぐらいものすごい大きなものを作ってしまう。もちろん建築家でも何でもないから、設計図があるわけでもなく、とても人の住めるようなものではない。それでも、その建築物は、今では「シュヴァルの理想宮」として観光客が訪れるほどの名所となっている。
だから、絵でもそうなんですけど、人が住めるようなきちんとした秩序のあるものというのは、「絵」になった時にはちっとも面白くない。その小父さんは、褒められると子供みたいにとても喜ぶんだそうです。
アンリ・ルソー(※11)という絵描きがいますが、この人も素朴な絵を描きながら、「有名な人が見に来るよ」と言われたら有頂天になったそうだ。だから、スイス ローザンヌの美術館が定義しているように沈黙でないと「アール・ブリュット」として認めないという限定はしない方がいい。人間の中にある、"あるもの"(描きたいという原始的な情熱)が引っ張り出されれば、作品はそれで面白いのだろうと思うんですが。
吉武 健常者は、「絵」という画一的な教育を受けていますよね。障害を持った人たちは、そういった教育を受けていないから、「生のまま」で絵を描いている。
そうなると、障害者の人たちの絵の方が、絵として目立つものが出てきているのでしょうか?
入江先生、どうお考えになりますか?
入江 教育を受けているかどうかは関わってきていると思う。つまり、教育を受けていない良さというものが「アール・ブリュット」の中にはあると思うんです。教育によって常識化されない純粋な部分が「アール・ブリュット」の魅力だと僕は思うんです。僕の先生だった中川一政(※12)という人は、美術学校に行ってないのね。全くの自己流で美術を学んできた人でした。だから、いわゆる「絵」の常識からはかなり離れた絵を描いてきている。そうはいっても、「絵」という秩序の世界に身を置いて生きてきた人だから、「アール・ブリュット」と言われているジャンルから見れば、かなり「絵」という秩序に近い生活をしてきた人だと思うけど。だけど、なぜ中川一政の絵が今でも人を惹きつけているかといえば、「生の部分」、あるいは「加工されていない部分」を一生持ち続けているからだと僕は今思っているわけです。
僕は中川先生と割に近くいたせいもあって、かなりアカデミックな教育というものをばかにしてきた。中川一政に、「君は美術学校に行って勉強したんだろう」と言われると、僕はひどくコンプレックスを感じていた。美術学校に行き、美術を勉強し、美術の教育を受けることが、絵を描くということに欠陥を生じさせるという自覚があったからなんですね。美術の教育を受けることによって、「生の」「加工されていない」部分を遠ざけてしまうのではないか。そうやって、僕は、アカデミックな教育というものを軽視してきたんです。(美術学校の先生をしながら矛盾しているかもしれないけれど。)
だけどね、去年、横浜美術館で開かれた「フランス絵画の19世紀―La peinture française du XIXe siècle」という展覧会(※13)に行ったらね、アカデミックな教育を受けた芸術を見直しちゃったという感覚になりました。何というか、「絵」という秩序(常識や形式)を守りつつ、堅固に「絵」というものを作り上げる、堅固な世界を作り上げるという描き方もあるのだと思ったのです。つまり、「絵」という秩序の中にいても、作り上げていくその情熱が作品の中に感じられれば、美術学校でアカデミックな教育を受けたから駄目だとは、言いきれないのかなという思いでその展覧会を見たわけです。
肝心なのは、そういうアカデミックな教育を受け、個々人の情熱というものがなくなるかどうかだと思う。情熱が失せて「絵」という形式だけをなぞった絵は、それはもはや絵とは言えないんじゃないか?と思う。だから、絵を描く時、自分の気持ちの中から発してくる内的な情熱があるかどうかということが、やっぱり大事な問題なわけです。だから、もし美術教育を受けても、その情熱を失わないということが絵描きにとっては肝心なことだと思うんですね。
野見山 僕はアール・ブリュットの絵を描く人たちの絵は面白いと言っているけれども、歴史上にその人たちの名が残っていくかというと怪しいと思う。そうなると、僕たちはやっぱりアール・ブリュットの絵をはっきり「これは絵です」と言い切れないと思うんです。西洋・東洋を問わず、やっぱり名画として残るのは、人間の築いた一つの歴史というか、思惟の所産なんです。こういう「アール・ブリュット」と呼ばれる人たちの絵というのは、言ってみれば健全な日常を送れない、いわば屈折した人間から出てきているものですから、作品を長く鑑賞することに耐えるだけの思想を持っていない。人に感銘を与え、新たな視野や世界観を獲得させる感動をもたらすことができない。逆に、長く見ていると嫌悪感が来るんじゃないか。
「絵」という伝統、秩序の中できちんと出来た「絵」というものがあるから、反面、アール・ブリュットは、いわば土の中から堀り出された生なもの、人の手を経ない天然の産物という野生の強さの魅力を僕たちに突きつけてくると思うのです。
子どもの絵というのは無邪気でなかなか大人の意表を突くものです。アール・ブリュットと、そういう「絵」の秩序に制約されない「生な」ところは共通しているんですね。でも、子供の絵における「生」という意味は、"まだ知恵が足りない"という未熟さであって、健全なんです。一般の人から避けて生きてゆこうという屈折した生き方、病的な意味合いと受取ることとは異なる。
「アール・ブリュット」の人たちは、すでに頭の中で別の世界に住んでいる。それを現実のものとしようとするから、ただひたすら表現することに熱中する。彼らにとっての表現とは、僕たちのように「制作する」という意識ではない。表現、つまり描く行為によって、自分の世界にすっぽり入り込んでいられるから、再現することにとてもせっかちなのです。
昭和13年、私は美術学校に入るために、石膏デッサンというものを教わって、いわゆる西洋の立体の見方を勉強させられました。美術学校に入っても、一年間は石膏デッサンです。その頃だったでしょうか。千葉県の八幡学園(※14)という知的障害児施設から、山下清(※15)という僕と大体同い年ぐらいの少年が俄然脚光を浴びました。銀座の画廊で個展を開き、僕も見に行きました。当時銀座の画廊は、ほとんどが木造づくりですから、「観客がこれ以上入ったら危険だ!」と家主が訴えるほど、大勢の人たちが詰めかけていました。山下清については、皆さんご存知だと思うけれど、色んな紙を千切っては貼り付けて画面を作る。その作品の面白さを見出したのは、早稲田大学の戸川さん(※16)という1人の心理学者でした。戸川先生が美術学校にやってきて、私は、山下清についての話を聞きました。
「山下清だけはいつも教室で青い顔をしている」そうです。先生は、何であんな青い顔をしているんだろうと注意して見てみたら、弁当を食べていなかった。では、なぜその弁当を食べないのだろうと見ていたら、それを糊にして、紙をちぎっては貼っていたそうです。それで、その絵が面白いというのが評判になり、梅原龍三郎郎(※17)あたりが、これは素晴しい、天才だなんて言ったそうです。そして、精神科医の式場隆三郎(※18)が現われて、山下清の精神分析をやった。
僕はうらやましかった。ほぼ同い年であるのに、僕らは美術学校の1年生、一方の山下清は、「みづゑ(※19)」の特集号が出る画家になった。僕はその時に、「絵」とは何だろうと思った。
それから、山下清についていろいろ話を聞きました。彼は知能の程度がかなり遅れており、人が刃物を持っていると、自分に襲い掛かってくるんじゃないかと思いこみ、凶暴化する。一緒に遠足へ行くと、鍬を持った百姓を見つけは、走っていって鍬を取り上げ、打ちのめした。そんな凶暴性があったという。そういった凶暴性が絵を描かせる行為に親しませることによってだんだん素直になっていったそうです。その過程を知ることで、絵を描かせることが、この世の中に生きづらい人間にも一つの別の世界(居場所)を構成する機会を与えるんだということに気づき、自分自身の人生についても活目した。
私は、学校で絵を学びながら同時に、おかしな世界があるなということをずっと脇で眺めていました。以来、ずっとそういう人たちの絵に大変興味を持ち続け、絵を見てきました。
吉武 智恵子抄の画集について、入江先生からお話いただけますか。
入江 先ほど野見山先生が、アンリ・ルソーに「総理大臣が見に来るからうれしい」という極めて俗っぽいところがあったと話しておられました。絵を描くモチベーションが、何よって引き出されるか。絵描きにとって、モチベーションや情熱を引き出すものであれば、何でもいいと思うのですよ。ベートーベンの言葉の中に、「美しきもののために破り得ぬ規則は何もない」という言葉があるそうだが、かなり倫理的に許されないようなことであっても、情熱をかき立てるものがあるなら、そういう力にはなり得ると思うんですね。(もしかしたら、モチベーションの質はどこかで吟味される機会があるかもしれないけれど…)
それより、「ああ、自分はこれをやりたいんだ!」と「やらずにはいられない!」という情熱を掻き立てるものとどこで出会うかが大事で、そういう情熱が絵の中にあるかどうかということが重要なのかなと思うんですね。僕は、そういう情熱を持った作品に対して惹かれていく。アール・ブリュットということにこだわるつもりはないんだけど、情熱に掻き立てられた「生」ものがその中にある限りは、その絵は魅力的であり続けるだろうと。
この間、4~5日前に僕は、ホテルオークラの近くの智美術館(※20)というところで、高村光太郎(※21)と智恵子(※22)、光太郎の彫刻と智恵子の切り紙の展覧会郎(※23)を見てきました。高村智恵子の切り紙の美しさといったら、言葉が出ないくらい美しいですね。本当にびっくりしました。非常に繊細で色も美しい。形も素晴らしい。では、これを「アール・ブリュット」(=「生の芸術」)と言うか言わないかという問題ではなくて、とにかく美しい。ぜひ皆さんも機会があれば見に行ってほしいと思います。作品がたくさんあり、会期を分けて陳列するそうです。非常に綺麗なものだなと思って感心して帰ってきました。
吉武 人間の一番奥深くにある"情熱の源泉"のようなものに到達するのに、健常者には努力が必要だったりするのですが、一方、「アール・ブリュット」と言われている方たちっていうのは、その泉のそばに住んでいると言われることがあるんですね。最近では、障害の「ガイ」を「害」という文字で表現するのは、おかしいんじゃないかという議論もあります。人間に害するような「害」ではないのではないかという視点です。絵を描くということに対して、逆にハンデキャップを持っているのは、障害者と健常者とどっちなんだろうって思う時もあります。また、障害者の方たちのすべてが才能を発揮できるのではなく、才能があっても、それを育む環境の要素(経済的支援や、運など)によって才能を発揮できる人とできない人に分かれるということがある。その違いは、結局、全てを含めて個々人の一つの才能と言うしかないかなと思ったりするんです。
野見山 それから、自然に触発されて、自然というものは一体何なんだ!?という驚きが出来てきて、その驚きがなかったら、表現することはないのです。その驚きが強ければ、つまり自分の理性を超えて表現したい衝動が出てくると思うんですね。
アールブリュットは、「芸術」かどうかということを考えると、そもそも「芸術」という言葉自体作ったのが間違いだという気がしてくる。
僕らそして皆さんも、普通の教養を受けて、一つの秩序の世界に入って、「絵」というものの技術も学んでいる。そうやって、秩序の世界の中で一所懸命絵を描いている。しかし、絵を描くことは、何か表現したいという衝動に駆られて画面に向かうのである。例えば、世の中が理不尽なら、その憤りを、何とか訴えたいと、言葉にはならないけれども、何かある一つのイメージとして、形として浮かぶ。または、自然に触発されて、自然というものは一体何なんだ!?という驚きが湧いてくるなど、そういう触発がなければ、絵描きは表現することはないのです。その触発が強ければ強いほど、つまり自分の理性を超えて表現したい衝動が出てくると思うんですね。
で、さっき入江先生が言ったように、アールブリュットの側とか何とかじゃなくて、その人は表現をしたいから、なりふり構わず描く。僕はそういうふうにして出来たのが、今まで歴史に残っている人たちの絵じゃないかなと。
だから、ピカソにしろ、誰にしろ、いわゆる天才と言われている人は、きちんと自分の技術を持ちながらも、「絵」という形式的な常識を乗り越え、そんなものはどうでもいいんだというくらいの情熱とつながっている。
アールブリュットと言われる人たちは、そういう「絵」の材質についての素養はなく、物事に対して常軌を逸していると思われるような解決手段をとっていく。だから、我々にとっては、それが"いびつ"な面白さであり、何よりも情熱で満たされている。つまり、今これを描いてなきゃ生きていられないという、この情熱が僕ら絵描きには不思議に思えるのであって。だけど、これを「芸術」と言っていいかというのはまた別の問題です。
入江 野見山先生のおっしゃる事に、少しも対立するところがなくて、皆さんにとっては面白くないかもしれないけど、私も全く同感なんですよ。「アール・ブリュット」というジャンル分けそのものに疑問がある。肝心なのは、作品自体に僕らの気持ちを打つ力があるかどうかということだけなはずです。それからもう一つ、今、野見山先生が言おっしゃっていたように、その作品の力が歴史に残っていくかどうかということですよね。高村智恵子さんの切り紙は、少なくとも何十年経っていても、今も見る者に綺麗だと思わされるものがあるわけです。それはもちろん、高村光太郎の奥さんだという要素が皆無ではないとは思うけれども、そうであっても純粋にこの1枚の作品が、力を持っている。つまり、「芸術」として、価値ある作品として、いつまで僕らの気持ちに訴えかける力が持続するかどうかということが肝心なわけです。
例えば、昨日のニュースで、ピカソの作品が100億円だという話がありました。「本当にそんな価値があるのか!?」とちょっと、いまいましいような気持ちになった。お金の価値に絵の価値を変えるということ自体、なかなか難しい問題だと思うけど、本当に100億の価値があるのかもと信じる気持ちがないわけじゃない。けれど、お金に換算されている作品の価値がいつまで続くのかっていう疑問が僕の中にもありますよね。作品の価値とは、それが長く続いたものこそ価値がある、"長くもったもんが勝ち"っていう気持ちがありますね。
吉武 それとですね、女子美術大学の卒業制作を見ますと、かなりの部分「アール・ブリュット」に見える特徴というか、そういった要素を持つ優れた魅力的な作品が多いんですね。アカデミックな教育を受けている中でも、表現したいというこだわり具合が、作品に漂っている。それは、写実という世界の中で、再現することにこだわった人の中に生まれる、「アール・ブリュット」に近い要素ですね。重なっていくものをすごく感じたりしました。
8月2日にみゆき画廊で展示する作品(右※24)です。作品に見られるように、こういう世界観をこんなふうに刺激的に受け止める感性っていうのは、やっぱりここにいらっしゃるみんなさんも持ち合わせているのではないかと思ったりします。
質問をこれから受け付けます。みなさん、ここまでの話を聞いていて、この話に参加したい人はいますか。アートとか美術とかに対して持ち続けてきた考えや、ちょっとした違和感、ブレなどを感じた人はいますか。率直な感想を出してもらえると、この議論もさらに盛り上がっていくと思うんですが。
それでは、作品スライドショーを用意しておりますので、お見せしながら、先生たちの話を少し聞かせていただければと思います。
※8 「心のアート展」
社団法人 東京精神科病院協会主催(2009年2月24日~2月26日/東京芸術劇場)
※9 フェルディナン・シュヴァル(1836年4月19日 - 1924年8月19日)
フランスの郵便配達人。石工、建築の知識を持ち合わせていない中、33年の歳月をかけて自力で巨大な城塞を建設した。
※10 「シュヴァルの理想宮」 (Palais idéal)(フランス南部ドローム県オートリーブ)
フェルディナン・シュヴァルが建設した建築物。
※11 アンリ・ジュリアン・フェリックス・ルソー(1844年5月21日 - 1910年9月2日)
19世紀~20世紀フランスの素朴派の画家。
※12 中川一政(1893年2月14日 - 1991年2月5日)東京都生まれ
洋画家、美術家。(歌人、随筆家としても活動していた。)1975年 文化勲章受章。
※13「フランス絵画の19世紀―美をめぐる一〇〇年のドラマ」展
横浜開港150周年と横浜美術館開館20周年を記念した横浜美術館と日本経済新聞社が主催
(2009年 6月12日~8月31日開催/横浜美術館)
※14 八幡学園
社会福祉法人春濤会が運営する児童福祉施設。貼絵の天才、山下清さんが在園、その才能を開花させた施設として知られている。
※15 山下清(本名:大橋清治)(1922年3月10日 - 1971年7月12日)
日本の画家。「裸の大将」として知られている画家。知的障害者養護施設 八幡学園にて「ちぎり紙細工」に出会う。式場隆三郎等の働きかけにより、有名となる。
※16 戸川行男(1903-1992昭和時代)
臨床心理学者。日本における臨床心理学の理論および技法研究の草分け的研究者。
1945年、早稲田大学教授となる。山下清の張り絵に注目し、1938年11月に同大学の大隈小講堂において「特異児童労作展覧会」を行った。
※17 梅原龍三郎(1888年3月9日 - 1986年1月16日)京都府生まれ。
洋画家。安井曽太郎とともに洋画界の頂点を極め、「日本洋画壇の双璧」と称される。
※18 式場隆三郎(1898年7月2日 - 1965年11月21日)新潟県生まれ。
日本の精神科医。「新潟市小学児童の智能規準並に劣等児の精神病学的觀察」で医学博士となる。
※19 美術出版社(当時の「春鳥会」)の発行する月刊美術雑誌。
※20 智美術館(正式名:菊池寛実記念 智美術館)
2003年4月に東京・虎ノ門に開館。菊池智(とも)の現代陶芸コレクション等
※21 高村光太郎(1883年3月13日 - 1956年4月2日)
日本の彫刻家、評論家、詩人。妻智恵子に関する詩集『智恵子抄』が有名であり、詩人、評論家としても知られている。
※22 高村智恵子(1886年5月20日 - 1938年10月5日)
日本の洋画家。彫刻家の高村光太郎の妻。
※23「智恵子抄 高村光太郎と智恵子 その愛」展
(2010年04月29日~2010年07月11日/菊池寛実記念 智美術館)
※24 七海進治巡回展
平成21年度「大学教育・学生支援推進事業【テーマA】大学教育推進プログラム」における女子美術大学「障害理解とアートフィールド参画支援の取組」による展示会(2010年8月2日~8月8日/みゆき画廊)