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版画研究室ホーム > 版画の歴史 > 版画の歴史 5 1300〜1400年代
版画の歴史

5 1300〜1400年代


版画の始まり

ヨーロッパでは1300年代後半からキリスト教の教義を広める目的で、聖地巡礼の記念や護符などを木版で作っていました。現存の一番古い版木は1370年頃のプロタの版木と呼ばれるもので、フランス中東部のMACONで階段の板として用いられているものが発見されました。初期の木版画は1370年から80年頃にフランスのDijon(ディジョン)で始まったのではないかと伝えられています。

その後フランスやフランドル地方では戦争(100年戦争)が起こり版画も作られなくなりますが、ライン川上流(バーゼからストラスブルク)の地域で1400年頃作られた版画が残っています。

1400年から1430年頃になると多くの木版画が登場します。その後、木版本が作られるようになり、大工のギルドに属した職人により版木が彫られました。木版本は文字を木版で刷り挿し絵は手描きのものや、木版に手彩をほどこしてあります。

活版印刷

1445年にドイツのマインツに生まれたグーテンベルク(Johanes Gensfleisch zur Laden zum Gutenberg)が活版印刷を発明しました。ストラスブルグでブドウ圧搾機を改良して活版用プレス機を作ったとされています。活版印刷が普及するにつれ、文字は活版で印刷され、絵の部分は同じ版形式の木版画が用いられ、多部数の印刷出版が行われるようになります。これを挿し絵本と言います。

グーテンベルク以前にも活版印刷の記録が残されています。中国では11世紀に陶版を彫刻して焼いたものが使われたとされています。朝鮮では13世紀に銅または青銅で活字が鋳造されたとされています。

これらの活字が普及しなかった理由は、漢字を活字にした場合の形の複雑さと精度の問題,活字を作る労力の大変さとされていますが,グーテンベルクの活版印刷は,印刷工程だけでなく,活字の材料に鉛を使用した事、印刷のプレス機を改良した事、この3つの事柄を組み合わせて活版の発明とされています。

グーテンベルクの活版印刷の発明は、社会にも大きな影響を与えます。見逃せない事の一つにルターの宗教改革があります。1518年にルターは、先鋭的な活動を理由に破門されますが,彼はそれまでラテン語でしか印刷されなかった聖書を、ドイツ語に直し出版しました。このことで、教会や貴族などの教養人だけのものであった聖書を一般大衆のものとしました。これが一番の功績と言われています。

凹版画の始まり

凹版画は金属の表面に図を刻み、その凹部にインクをつめて紙などの素材に図を写し取ることを言います。金属に図を刻む事は、金工の歴史から古くより行われていましたし、また図を見やすくするために、油煙などの黒色顔料(ニエロ)を擦り込むことはエトルリア時代から行われてきました。このことから、凹版画は古くからヨーロッパで盛んであった金工から派生したと言われています。

1400年当時、ヨーロッパでは各地に僧侶や貴族の金銀銅製の器や杖頭・金具などに彫刻をほどこす金工職人の集団が存在していました。

その職人達が装飾の記録を残すために、加工した金属の凹部に煤を油で練ったものを擦り込み、皮や紙などに写取っていたことから彫刻凹版が始まったとされています。

彫刻した凹部につめた油性インクを紙などに写し取るには強い圧が必要となり、当時はブドウ搾り機が使われまた。それが最初に行われたのは、ライン川上流(アルザス地方)で、1430年頃の金工師の工房であったとされています。

プロタの版木


初期木版画


グーテンベルク聖書


マイスター E.S.
読書の聖母 1450-60



この時代の作家

マイスター E.S. Meister E.S. (1435頃-1491)
マルティン・ションガウアー Martin Schongauer (1435-1491)
ルーカス・ファン・ライデン Lucas van Leyden (1489-1533)
アンドレア・マンティーニャ Andrea Mantegna (1431-1506)
アントニオ・ポライウォーロ Antonio Pollajolo (1432-1498)