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版画研究室ホーム > 版画の歴史 > 版画の歴史 4 紙の歴史
版画の歴史

4 紙の歴史


絵画をはじめ、印刷や版画は何かの素材に描くか刷るかしなければなりません。ヨーロッパでは紙が伝わる以前は布か板またはヤギの皮に絵を描いていました。

105年中国で蔡倫が完成した紙の製法が、751年の唐とサラセンの戦争であるタラスの戦いによって破れた唐人の捕虜の中にそれを知る者がいてサマルカンドにもたらされます。

その後8世紀にイスラム圏に伝播し、12世紀にカイロ、スペインを経て、イタリアに伝わり1276年には今日でも版画用紙の生産地として有名なファブリアーノに製紙工場がつくられました。実に1000年かけて紙の製法は西方に伝播したのです。その後、紙の製造法の伝播と活版印刷の発達が重なり、印刷と版画の出版が著しく発展、15世紀半ばにはヨーロッパ各地で盛んに紙が漉かれるようになり、需要が賄えるようになりました。

一方、東方への製紙法の伝播はスムーズだったといえます。紙自体は仏教の伝播とともに各地に広がっていましたが、紙の製法はその完成後、速やかに中国全土に広がり、4世紀には朝鮮半島へ、610年に高麗僧・曇微(タム・ジン)が墨とともに日本に伝えたと記録されています。


紙の伝播


中国から東へ西へと伝わった製紙法は、それぞれの地域で土地にあった進化をとげました。

東側では、亜熱帯植物が豊かだったため、植物、特に楮、雁皮、麻(大麻)桑、三椏(ただし江戸期に入ってから)などの内皮が持つ丈夫で長い靭皮繊維を利用した製紙法が発達します。

これらの材料の持つ独特のねばり(いわゆる「ねり」)の性質、特質を利用した、漉き枠を揺することで繊維を絡ませ、薄く丈夫な紙をつくる「流し漉き」が生まれます。

西側では紙の原料となる物が少なかったため、麻や綿で作られたボロ布をつかった製紙法が発達します。蔡倫の時代に行われた「溜漉き」が主流です。

その後、印刷文化の発達によって原料不足になったヨーロッパでは、ボロ布にかわる繊維原料の模索がされました。1719年、フランスのレミオールが蜂の巣が木の繊維でできていることを発見しますが、実験をする人はフランス国内にはいませんでした。1765年、ドイツのシェッフルが実際に蜂の巣から紙を作り、この実験が木材パルプ発明へとつながります。1840年、ドイツのケラーが木材の繊維を機械的に製造する方法を発明し、1854年には砕木機を開発し、木材パルプが大量に供給できるようになります。

1897年にはフランスのルイ・ロベールが長網式抄紙機(紙漉の機械)を発明し、大量生産が可能になりました。

印刷と大量生産に適した洋紙が日本へと伝わったのは明治維新の頃でした。