中国から東へ西へと伝わった製紙法は、それぞれの地域で土地にあった進化をとげました。
東側では、亜熱帯植物が豊かだったため、植物、特に楮、雁皮、麻(大麻)桑、三椏(ただし江戸期に入ってから)などの内皮が持つ丈夫で長い靭皮繊維を利用した製紙法が発達します。
これらの材料の持つ独特のねばり(いわゆる「ねり」)の性質、特質を利用した、漉き枠を揺することで繊維を絡ませ、薄く丈夫な紙をつくる「流し漉き」が生まれます。
西側では紙の原料となる物が少なかったため、麻や綿で作られたボロ布をつかった製紙法が発達します。蔡倫の時代に行われた「溜漉き」が主流です。
その後、印刷文化の発達によって原料不足になったヨーロッパでは、ボロ布にかわる繊維原料の模索がされました。1719年、フランスのレミオールが蜂の巣が木の繊維でできていることを発見しますが、実験をする人はフランス国内にはいませんでした。1765年、ドイツのシェッフルが実際に蜂の巣から紙を作り、この実験が木材パルプ発明へとつながります。1840年、ドイツのケラーが木材の繊維を機械的に製造する方法を発明し、1854年には砕木機を開発し、木材パルプが大量に供給できるようになります。
1897年にはフランスのルイ・ロベールが長網式抄紙機(紙漉の機械)を発明し、大量生産が可能になりました。
印刷と大量生産に適した洋紙が日本へと伝わったのは明治維新の頃でした。
|